今から20年以上も前の話。
初めてタイに3ヶ月のムエタイ修行に行った先が
バンコク郊外のスクンビットSoi93にあった
ソータニクンジム(現在は消滅)だった。
いろいろあってたどり着いたソータニクンジムは
40人くらい選手がいる大きなジムだった。
前日にプロモーターでもある
クレオタニクン会長がボディガードとともに
高速道路で射殺されていた。
ソータニクンジムはムエタイジムなのに
なぜかトイレによく注射器が落ちていた。
その注射器の持ち主は
よく何か叫びながらスーツ姿で
ジム裏のプールに飛び込んでいた(笑)。
2階の合宿所にはよろしくない雰囲気の
おじさん達が昼間から酒を飲んで
金を賭けてポーカーしていたし、
金がらみのもめ事も多かった。
最初はジムに寝泊まりしていた
ドラゴン23歳だったけど、
いろいろあってジムを出て
アパートを借りることになった
本当の理由を話したいと思う。
ジムでの合宿生活が始まって5日目くらいの夜、
練習で疲れ果てて寝ていると
ギャーギャー騒がしい。
ケンカらしいが既に何回目かだったので無視していたら、
今回はデカいらしくバタバタしていた。
そしたらソンバットの弟のコーラーレックが
マットレスの下から青竜刀(デカい刀)!
を引っ張り出して走って行った。
普段は大人しい猿みたいなコーチ
(自分のミットを持っているコーチ)も
走って行ったので血気盛んだった自分も
走ってついて行ったのだ。
真っ暗なジムの向かいの空き地で
ケンカが始まっていた。
相手は思ったより小さくて痩せていたけど、
黒くて小さいピス〇ルを持っていた。
マジかよ?‥‥‥え〜っ‥‥‥‥‥どーするんだよ‥‥‥‥‥‥。
そこから先のことはとてもブログには書けない‥‥‥‥。
翌日から今までナメていた猿みたいなコーチのミットに対する
自分の反応が劇的に変わった。
それまでは左ミドルの位置にミットがあっても
ふざけて右ミドルを蹴ったりしていた。
でもあれ以来コーチが左ミドルの位置にミット構えると
単発ではなく必ず連打してカップカップ(はいはい)と
敬語で答える自分がいた(笑)。
そしてその翌日、朝の練習が終わり
飯食って昼寝していた時のこと。
みんな寝ているのにいたずら好きな
サミンノーイだけがニヤニヤして動いていた。
自分はたまたま起きていたので、
何しているんだろう?とだまって見ていた。
サミンノーイが寝ていた選手の足の親指と
人差し指の間に爆竹を挟んでいた。
冗談だろうと思っていたら
サミンノーイはなんと爆竹に火を着けたのだ!
「‥‥‥。」
「BANG!」
「ギャー!」
ものすごい音がしたと同時に悲鳴が聞こえた。
血だらけで足を押さえて叫んでいる選手は
いつもみんなからいじめられていた奴だった。
あまりの惨劇に驚いて呆然としていたら、
犯人のサミンノーイは笑いをこらえて
寝たふりをしていた。
そしてそいつはコーチの車で病院へ運ばれた。
その後、被害者の選手は
2度とジムに戻ってくることはなかった‥‥‥。
「‥‥‥‥‥‥。」
「シャレにならねえ。」
練習はともかくとして落ち着いて昼寝も出来ないジムの2階の合宿所。
夜になるとブログに書けない程の物凄いことが起きるソータニクンジム。
ストリートファイト専門のバリバリの不良23歳が
わずか1週間でジムを出て、
ソンバットと同じアパートを借りたのはごく自然な事だったのだ‥‥‥。
石巻市総合体育館で始まった
ドラゴンジム石巻支部。
石巻支部立ち上げに協力してくれた
最初のメンバー2人はもういないけど、
4年半の年月と大震災を経て
遂に念願の常設ジムが完成した!
東松島市大曲に完成したドラゴンジム石巻は
細長い形で広さは20坪。
リングはないがサンドバックが4つ並んだ
新しい東北のムエタイの虎の穴だ。
入り口のガラスには生々しい津波の跡
(1メートル50センチくらいの高さ)が
くっきりと残っている、というかわざと残している。
サンドバックを吊している赤い鉄骨は、
榴ヶ岡にあった伝説のムエタイジムで
使っていたのを加工したもの。
ドクロのステッカーも8年前のまま残して、
新しくNがペンキを塗ってくれた。
壁につけるタイプのウォールサンドバックは
建物の構造上ダメだったが、
スーパーハードで長いサンドバックは
ギリギリ着地せずに吊すことが出来た。
両方ともに榴ヶ岡の伝説のジムで使っていたもの。
石巻支部は選手を育てる
ハードな場所にするという決意ためにも、
どうしても榴ヶ岡のものをリサイクルしたかった。
壁に貼る衝撃吸収用のマットや
タイマーや荷物用の棚などが
まだ出来上がっていない。
入り口のガラスに貼るカッティングシートや
石巻支部の看板もまだだ。
でも念願のサンドバックのある常設ジムに
感激の45歳11ヵ月。
週2回ずつ石巻市に通い続けて4年半。
すごく長かったような、
あっという間だったような不思議な感覚。
石巻支部は勢いで始めたのはいいが、
なかなかメンバーが増えずに悩んでいた。
そこに大震災が起きて、
正直もう石巻支部はダメだろうと思いながら
ボランティア活動していた自分。
大震災から半年後の9月から、
石巻支部の練習を大街道会館で始めたけど、
たったの4人しか集まらなかった。
もう石巻支部をやめて、仙台市泉区に支部を作ろうと考えていたのだ。
そしたらまたムエタイの神様が動いた。
なんと、あっという間に40人以上にメンバーが増えて、
今現在も増え続けている。特に子供達の勢いがゴイスーだ。
あの大震災を石巻で体験して、精神的に劇的な変化が感じられる。
今の石巻のキッズは昔の自分達の頃よりも
もしかすると勢いがあるかもしれない。
石巻のキッズ達が本物になるのか?
あるいはただの不良になるのか?
は自分の舵取り次第だと思う。
大震災を経験した子供達と溢れ出すような
PASSION(情熱)が合体すれば、かなり面白い事になるだろう。
石巻支部としての目標はただひとつ。
「被災地からチャンピオンを育てること!」。
津波にやられながらもほとんど無傷で
生き残ったこの建物(ドラゴンジム石巻支部)から
新たなる伝説が始まる。
昨年末からずっとドラゴンイヤーの今も建設現場で働いている。
正月休みもそこそこに4日から軍手にマスクにツナギ姿で頑張っている45歳。
去年の今頃はオキナワで遊んでいたのに‥‥。
実はジムだけでは食っていけないので、
昨年末から工務店に就職したのだ。
45歳からの転職&肉体労働はかなり厳しい。
朝7時から起きて8時から寒い現場で
夕方6時まで立ちっぱなしで働いている。
27歳でドラゴンの看板を掲げてから、ずっと自営業だ。
だから朝は自然に目が覚めたら起きる生活を
20年間も送ってきている。
目覚まし時計で起きるのは、試合の時と
旅行に行く時だけだった。
だから毎日規則正しく朝早く起きる生活は
苦痛以外の何物でもない。
誇りまみれではなく埃まみれになりながら、
後片付けをしたりゴミをよせたりしている。
埃で思い出したが映画「ろくでなしブルース」の
ラストシーンの撮影現場も埃まみれだった。
吉祥寺の取り壊しが決まっている
ビルの地下で、憲ちゃん(前田憲作)と
ジャイアンジュンと自分の3人で1日中
ケンカのアクションシーンの撮影をしていた。
自分は不本意なやられ役だったけど
演技力はゲイリー・オールドマン並みに
ゴイスーだったと思う(自己評価)。
また脱線事故のようなので話を戻そう。
ホームセンターに買い物しに行き、
ペンキまみれになりながら
壁に色を塗る新入社員45歳。
建設現場は肉体的にも精神的にも
自由人45歳にはかなりキツい。
好きなムエタイで飯を食っていた頃が夢のようだ。
あの頃は良かった‥‥。
なんて昔を懐かしんでも始まらない、
何と言っても自分には3人の育ち盛りの子供達が
腹を空かして待っているのだから。
な〜んちゃって、工務店に就職したというのは真っ赤なウソだ(笑)。
自分は人の下では、いくらいい給料を貰っても働かないと思う。
性格的にも肉体的にも、上からあれこれ指示されるのに
耐えられないだろう(笑)。
実際はドラゴンジム石巻の物件が見つかり、
1月19日のオープンに向けて急ピッチで
内装工事(ボード張り替え、ペンキ塗り、マット敷き)を
自分達でやっている最中だ。
1月10日ホームセンター帰りに、
静岡県のムエタイファイティングアカデミーの
勝山恭次から電話があった。
新年の挨拶に見せかけて、実はリングを新しく作るので
リングロープについて聞きたいらしい。
勝山から掛かってきた電話だが、
いつものようにお構いなしのドラゴントークを
炸裂させていた(笑)。
そしたら何と目の前に若い警察官が飛び出してきたのだ。
気がつけば横道に誘導されている可哀想な自分。
勝山からの電話を切り、「何で止めるんだ!」と
若い警察官に少々強めの口調で尋ねている一般市民(笑)。
「運転中に携帯でお話しされていましたよね?」という
若い警察官に対し「何か証拠の映像でもあるのか!
俺はこう見えてもゴールド免許だぞ!」という
訳のわからないか弱い社会人(笑)。
またまた気がつくと自分の周りには
4人の警察官が集まってきていた。
ゴネる自分を人数で押さえ込もうとする国家権力。
全く罪を認めようとしない自分に
「お仕事何をされている方ですか?石巻署まで来ていただけますか?」
と内容が変わってきた。
いつもと違い、ドラゴンプロジェクトのために
仕方なく認めて罰金と減点を受け入れた。
「くそ〜今まで何回も捕まっても全部切り抜けてきたのに‥‥。
自慢のゴールド免許がパーになってしまった」
この怒りは勝山に向けるしかないか。
「あのウンチクヤロー」(考えて見れば自分もか)。
そんなこんなで最近はムエタイトランクスではなく、
作業服のツナギばかり着ている。
ミットよりもローラー(ペンキ塗りの)を持っている最近の自分だ。
そしてドラゴンジム石巻オープン以外にも
もっとデカい日本初のドラゴンプロジェクト(秘密)が同時進行中。
その現場を見た落ち武者風の工務店の人が
「これ全部やるんだったら2千万円はかかるよ」と言ったので、
そんな予算がない自分はセルフで
ドラゴンプロジェクトを完成させることを決意した。
トップシークレットのドラゴンプロジェクトを担当するのは
まるっきり無名だけどゴイスーなメンバーが揃っている
ドラゴン工務店に決まった。
ドラゴン工務店の大工部門は
元宮大工の後輩Mだ。
Mはしゃべる大工の異名を持つお調子者で、
神奈川県から無理やり呼んできて
手伝わせている。
秋田のドラゴンダイナー(飲食店)、
ハワイアンリーゼント(古着屋)、
仙台のドラゴンジム(新しい方)も
Mが自分の指示通りに作り上げた。
塗装部門はドラゴンジムの古参会員のNだ。
Nは実家が塗装業のサラブレットで、
仙台のドラゴンジムのリングや
サンドバックを吊している鉄柱を
真っ赤に仕上げてくれた。
現在は全く儲からないハードな仕事を
黙々とこなしてくれている。
マット部門は国立大学出のエリートK。
Kは真面目できちんとした性格が買われ、
面倒くさいマット敷きを任されている。
Kは今回が初仕事の
期待の40代の新人だ(笑)。
他にもアルバイトが多数入れ替わりで、
色々と手伝ってくれているドラゴン工務店だ。
もちろんアルバイト代や
事務所なんかはない(笑)。
ドラゴン工務店には他にも
電気部門や鉄骨部門や音響部門の
スペシャリストがいるので
後でちゃんと紹介したいと思う。
彼らはお金だけでなく人の繋がりで
動いてくれる、いい意味の頑固者ばかりだ。
そして現場監督はドラゴン66こと自分だ。
あ〜でもないこ〜でもないと
考えるふりをしながら、
実は本当に何にも考えていない
直感野郎だ(笑)。
だんだんと出来上がっていく現場を見て、
テンションが上がっていく現場監督。
現場監督45歳は来月で46歳に
ステップアップする予定。
現場監督が最近防寒用にいつも着ている
東洋エンタープライズのオレンジのダウンベスト。
先日フジテレビで全く同じダウンベスト(色も)を
天達気象予報士が着ていた。
あまりのショックに私服から作業着に格下げした
不良現場監督(苦笑)。
天達とペアルック(古い)って‥‥‥。
話がそれたけど、ドラゴン工務店の社長は
ムエタイの神様だ。
だからよく考えてみるとやっぱり自分は
45歳にしてドラゴン工務店に
就職したということになるのだと思う(笑)。
ドラゴンプロジェクトの全貌は
3月25日に全てあきらかになるだろう。
ちなみにドラゴン工務店ではボランティアの
アルバイト大募集中なのでピク46で〜す(笑)。
ジャッキー・チェンと片腕ドラゴンのジミー・ウォングが
共演した「ファイナル・ドラゴン」もオススメだ。
カンフーよりも二転三転するストーリー展開が
素晴らしい映画。
打ち込まれた杭と刀の上での戦いはゴイスーで
決闘場所としてのインパクトはNo.1だ。
せっかく手間ひまかけて作った決闘場所なのに、
肝心のカンフーがあっさりしているのが
本当に残念だった(苦笑)。
そして奪命流星という必殺技は必見だ!
空飛ぶギロチンと奪命流星は
最強の武器の双璧だろう。
しかも奪命流星はもったいぶって
最後まで全く出てこない。
カンフー映画には珍しくラブシーンもあり、
ラストも女に向かって走るところで終わるのも
笑えるB級作品だ(笑)。
純粋なカンフー映画ではないが
コメディ映画の「Mr.Boo!」には五獣拳が出てくるし、
キョンシー映画とカンフー映画の合作もあるので
チェックしてみて欲しい。
あとジミー・ウォング主演の「片腕ドラゴン」もオススメだ。
この型破りなB級カンフー映画は
大ヒット(カンフー映画の元祖と言われている)した。
それを見たブルース・リーが、
「本物のカンフーを見せてやる」と
エキサイトしたのは有名な話らしい。
そして大スターとなったジミー・ウォングは
続編の「片腕カンフーVS空飛ぶギロチン」も大ヒット
(カンフー映画として)させてカンフー映画の
土台を作り上げた。
あの有名なタランティーノ監督も
大のカンフー映画好きだ。
自分が大好きな「トゥルーロマンス」には
ソニーチバこと千葉真一のカンフー映画が出てくるし、
その千葉真一主宰のジャパンアクションクラブ(JAC)の
面接で落ちたのがドラゴン66つまり自分だ(苦笑)。
話がそれたが、映画「キル・ビル」を見れば
タランティーノ監督のカンフー映画好きは一目瞭然だ。
ユマ・サーマンが着ている黄色のトラックスーツは
ブルース・リーの「死亡遊戯」そのままだ。
ところでカンフー映画で
カンフー以外で記憶に残っているのが、
ヤングマスター(ジャッキー・チェン主演)の
正月の獅子舞2匹が高い一本橋の上で
巻物を取り合うシーン。
凄く中国っぽくて凄く印象に残っている。
ドラゴンロード(ジャッキー・チェン主演)の
羽根突き(昔の日本で盛ん)の羽根のようなモノを、
手を使わずセパタクロー(タイで盛ん)のように
足だけでサッカー(世界中で盛ん)みたいな
ゴールに入れる競技も面白かった。
そして同じドラゴンロードに出てくる竹で作った
円錐形の塔にチームで競って登り、
頂上にあるボールを奪い合う
ラグビー(世界中で盛ん)のような競技も
ゴイスーで記憶に残っている。
記憶に残るカンフー対決のシーンは
色々ありすぎて困る(笑)。
コミカルなところでは「蛇拳」の蟷螂拳の使い手と
蛇拳の戦いが良かった。
自分は漫画「男組」の中に出てくる
長ラン(学生服の長いもの)で
リーゼントメガネの殺し屋が、
蟷螂拳(カマキリ拳法)の使い手だったのを
覚えていた。
だから蟷螂拳が出てきた時の喜びは相当なものだった(笑)。
ジャッキー・チェンでは他にも「拳精」の
トンファーを使ったカンフーも良かったし、
「龍拳」のラストの20分に渡る
壮絶なカンフーも記憶に残っている。
特に「酔拳」のイスを使ったカンフーや
対石頭のカンフーなどの
コミカルなアクションは素晴らしいの一言。
まさにあれはA級カンフー映画の貫禄だと思う。
前にも書いたけどジェット・リー主演の
「少林寺」シリーズのカンフーは
超A級の本物だけど、すご過ぎて隙が無く
自分の心には響いてこなかった。
迫力という点ではヤングマスターの
ラストの激突がオススメだ。
香港モノには珍しく長廻しのアクションで、
ケンカのような迫力満点のカンフーだ。
最後の最後で対戦相手が見え見えの
人形に変わってしまったのが残念だったけど、
あれは本当に熱くなるケンカカンフーだ。
木人や銅人たちとのカンフーもファンタスティックだけど、
自分のオススメカンフーNo.1は
「続・少林寺三十六房」のラストの足場と縄を使った
建設現場カンフーだ!
これはとにかく映像を見て欲しい。
自分はこれを見て感動して、
真似しようとしたけど出来なかった(苦笑)。
よく考えたなと感心する程のカンフーだと思う。
‥‥というディープなB級カンフー映画の世界だけど、
実は自分はいちばん大事な映画をまだ見ていない。
この映画を見ずにB級カンフー映画を語るのはどうか?
と迷った結果、他のマニアの方に
お願いすることにしたのだ(笑)。
そのゴイスーなB級カンフー映画のタイトルは
「ドラゴン太極拳」。
以前テレビ東京で放送したことがあるだけで、
日本語訳のDVDはず〜っと探しているけど、
なかなか見当たらない。
誰か「ドラゴン太極拳」の日本語バージョンの映像
(ビデオでもDVDでも)を持っていたら、
是非ともドラゴンジムのホームページまで御連絡ください。
お礼はしますので4649お願いします!
今年の目標のひとつが
「ドラゴン太極拳」を見ることだ。
運良く見れたならベスト3+1+おまけの
ランキングが入れ替わるのは間違いないだろう。
今年は干支もムエタイもカンフーも
ドラゴン尽くしで最高の年にしたいと思う!
マニアックなDRAGON66が選ぶ
B級カンフー映画ベスト3+1+おまけを紹介したい。
あくまでも自分的なセレクトだから気楽に見て欲しい。
ベスト3+1+おまけも簡単に言えばベスト5だろうって話だけど
そこも大目に見て欲しい(笑)。
第3位は「少林寺への道」だ。
ピカピカの銅人やロボットのような
銅人と戦うシーンは素晴らしい。
そして龍の焼き印も心に残る名作。
ストーリーも2世代に渡っていてしっかりしている(笑)。
第2位は「少林寺三十六房」。
三十五の修行房でどんどん強くなるシーンは
本当にゴイスーだ。
竹を3つに折って三節棍を生み出し、
その三節棍を使ったカンフーが印象的だった
B級の名作中の名作。
ちなみに「蛇拳」や「酔拳」で
ジャッキー・チェンの師匠役で有名な
ユエン・シャオティエンが修行房のシーンで
僧侶姿で出ている。
第1位は一重まぶただった頃の
ジャッキー・チェン主演の「少林寺木人拳」。
何と言っても木人との戦いは
ファンタスティックだ。
この映画のテーマ曲の
「ミラクル・ガイ」のレコードまで持っている
45歳だ(笑)。
ストーリーや雰囲気は少し暗いが
熱くなるB級カンフー映画の傑作だと思う。
明るいジャッキー・チェンと
暗い少林寺のイメージに違和感があるが、
名シーンが多く大好きな作品だ。
+1として「片腕カンフーVS空飛ぶギロチン」を入れたい。
この映画にはムエタイも出てくるし、
何よりも胡散臭い雰囲気がたまらなくいい(笑)。
空飛ぶギロチンは説明できないくらいゴイスーだ。
ヒマでマニアックな人はぜひ見て欲しい。
おまけは「少林寺への道十八銅人の逆襲」だ。
この映画は第3位の少林寺への道と
キャストもスタッフもほぼ同じだが全くの別物。
ストーリーはメチャクチャだが、
十八銅人がパワーアップしていて面白い。
あの銅人たちに自分もマジでトライしてみたくなったほど
銅人房はゴイスーだ(笑)。
振り返るとほとんどが少林寺の修行モノになってしまった。
B級なのに生真面目な自分の性格が
モロに出てしまい誠に申し訳なく思っている(笑)。
少林寺の修行モノは定番だが奥が深く、
時代背景もあって説得力が違う。
そして少林寺を下山するための
様々な試練の戦いがいちいち素晴らしいのだ!
例えば少林寺への道ではピカピカの銅人や
ロボットのような銅人と戦い、
少林寺三十六房では
三十五の修行房をくぐり抜け、
少林寺木人拳ではゴツい木人と戦う。
拳精(ジャッキー・チェン主演)では
十八羅漢拳と戦っている。
そして極めつけがブルース・リー主演の
「燃えよドラゴン」(A級カンフー映画)の冒頭の
少林寺でのシーンだ。
オープンフィンガーグローブで
打撃だけでなく投げと関節技まである、
現在の総合格闘技の原型(カンフーではない)の
戦いが見られる。
何十年も前の映画なのに
ブルース・リーの才能には驚かされる。
しかも対戦相手がサモ・ハン・キンポー
(デブゴン)だというのも興味深い。
個人的に好きなのが酔えば酔うほど強くなる
酔八仙拳で、何と本まで持っている。
ジャッキー・チェン主演の「酔拳」の師匠役の
蘇化子の若い頃を描いた「ドランクマスター酔仙拳」も
見方によっては面白く見れた。
ひとりではなく2人での修行シーンは珍しく、
銘酒「夜香一品仙」を飲んで
30年前を回想するシーンは長すぎる。
あまりに長すぎて誰かのブログを思い出してしまった(苦笑)。
肝心の蘇化子役のユエン・シャオティエンが、
全くと言っていいくらい出ていないところなど
ツッコミ所満載の映画だ。
酔拳はコミカルだが、実はかなり実戦的な格闘技だと思う。
自分がひとつだけカンフーを習うとすれば、
間違いなく酔八仙拳を選ぶ。
そうすれば酔えば酔うほどに強くなると思う(笑)。
自分は古着やロカビリー好きでアメリカの50'Sのファッション、
音楽、車、映画、家具に狂って育ってきた。
そしてケンカ専門の不良でカンフー〜空手〜ボディビル〜
プロレス〜ストリートファイト〜キックボクシング〜ムエタイと
すくすくと45歳の今まで育ってきた(笑)。
不良少年の育成に多大な影響を与えたのが、
小学生の頃に見たブルース・リーのカンフー映画だった。
「ドラゴン危機一発」「ドラゴン怒りの鉄拳」
「ドラゴンへの道」「燃えよドラゴン」を
映画館で見た小学生は
人生観が変わる程の衝撃を受けた。
自分が子供の頃は、今のようにサッカーや
バスケットなどは全くと言っていいくらい無くて、
野球ばっかりだった時代。
そんなとき一部の変わり者の子供達が
ブルース・リーの真似をして
後ろ回し蹴りやヌンチャクを振り回していた。
ヌンチャクやトンファー(自作)を振り回して
ケガしながらも遊んでいた自分の憧れは、
中学になるとブルース・リーから
ジャッキー・チェンへと変わっていった。
親父が中学の音楽教師だったので、
学校の教材用(昔は教材用の映像ソフトが無いために
TV番組を録画するため)のビデオデッキが
中1の時から家にあった。
レンタルビデオすらほとんど無い時代だったので
(デッキがあるのが自分だけだった)
水曜ロードショーやゴールデン洋画劇場で録画した
「燃えよドラゴン」「蛇拳」「酔拳」は
アクションシーンを真似できるくらい
何十回も繰り返し見ていた。
中学の時の掃除の時間に
友達を立たせておいて後ろ回し蹴りを炸裂させたら、
そいつが怖がって逃げたので
空振りした自分はガラス戸に突っ込んだ。
手首が血だらけになった自分は
病院へ運ばれて5針縫っただけでなく、
中学校の在学中の窓ガラス割りの新記録を達成して、
職員室で包帯をしているのに何時間も立たされていた(苦笑)。
そして習いたくても習えなかった
カンフーを習得するために、
中国拳法の本(形意拳、八極拳、八掛掌、太極拳)や
カンフーの通信教育まで手を出していた(笑)。
当時の憧れは松田隆智だった(マイナーすぎ)。
高1の時、通信教育で
中国拳法を習っていた自分(笑)を狙って、
他校の不良達(年上を含む)が15人くらいで
駅で待ち伏せて襲ってきた。
たった1人の自分は袋叩きにされたが、
決して弱気にはならなかった。
そしてその翌日から包帯して復讐を始めた。
1人ずつ確実にタイマンでケリをつけていったのだ。
最後の復讐が終わったのは19歳の時。
5年かけてほとんどを叩き潰した。
ほとんどというのは、15人の中で3人が死んでいて
1人は車椅子生活だから。
もちろんこの4人には自分は何もしていない。
また不良な世界にタイムスリップしてしまったようだ(苦笑)。
健全なカンフー映画の世界に話を戻そう。
高校2年になるとカンフー狂いは更にエスカレート。
学校をサボってジャッキー・チェンの
「ヤングマスター」を見に行き、
感動して3回ぶっ続けで見て映画館を出ると夜だった。
あまりに興奮していたのでケンカ相手を探したが、
夜遅かったので街には誰もいなかった(苦笑)。
後でケンカ相手に蛇拳や蟷螂拳(カマキリ拳法)の
真似をして調子こいてたら、
突き指して手がつかえなくなって苦戦したことや、
漫画「男組」の中に出てくる中国拳法の
必殺技の「猛虎硬爬山」が
ケンカで全く通用しなかったのも、
今となっては笑えるエピソードだ。
そしてケンカで忙しくなってきた高校生の自分は、
神秘的なイメージのカンフーよりも
現実的な空手を習い(秋田にカンフー道場が
なかったから)始めた。
ついでにボディビルセンター(古い)にも通い始めた。
空手とボディビルといってもあの頃、
近所にカンフー道場があれば迷わずに入門しただろう。
コミカルなカンフー映画でも胸を狙って打つシーンが多い事に気付く。
胸は腹より危険な急所だ。
ムエタイのヒザ蹴りも、腹より胸を狙うのは
知る人ぞ知る裏のテクニックだ。
カンフーは日本人の持つイメージよりも、
はるかに危険で実戦的な格闘技だと思う。
高校3年になるとプロレスに狂って、
チャリですれ違いざまに生意気な奴に
ウェスタンラリアットをぶちかましたら
自分も一緒にチャリから落ちて怪我したのは苦い思い出だ。
高校3年の時、自分と会ったこともないのに
「俺の方が強い!」と言っている奴がいて、
そいつの家に夜遅くに行ってやさしく呼び出した。
そしていきなりハイキックで倒し、
最後は夜の路上でスコーピオン・デスロック
(別名サソリ固め)で開始から10秒もかからずに
速攻でギブアップ勝ちしたのも実話だ(笑)。
空手技からプロレス技のコンビネーションで
倒した相手は数人のレベルではないという噂だ。
またまた脱線ゲーム(古い!)してしまったようだ。
そして18歳で上京して22歳で
キックボクシングを始めるんだけど、
その頃ジェット・リー主演の「少林寺」が出てきた。
「少林寺」は香港と中国の合作映画で、
本物の武道家同士のアクションシーンが売り物で
確かに凄い跳躍力や技のキレだった。
でもあまりにも本物過ぎて、
自分の心にはあまり響いてこなかった。
遊びというか想像するスペースが全くない
スペシャルなA級カンフー映画だった。
ちなみにスペシャルA級カンフー映画と言えば
ブルース・リーの「燃えよドラゴン」が思い出される。
冒頭の少林寺での師匠との会話のシーンと
少年へカンフーを教える
「Don't Think! Feel!」の名シーンの撮影は
少林寺ではなく、香港の青山寺で行われている。
そしてラストの鏡の間でのハンとの対決シーンは
スリリングで説明するまでもないくらいだろう。
カンフー映画で一番有名な対決シーンと
言ってもいいだろうと思う。
地下牢のシーンには若きジャッキー・チェンも
出演しているのは知る人ぞ知る豆知識だ。
「燃えよドラゴン」はテーマ曲も
上等の舶来モノで、まさにカンフー映画の
最高傑作だと思う。
今までいろんなカンフー映画を見たけど、
自分的にはB級カンフー映画の
マニアックさがたまらなく好きだ。
メジャーなカンフー映画
(それでも世間的にはマイナーだけど)は確かに素晴らしいけど、
見方によってはB級カンフー映画も面白くてかなり楽しめる(笑)。
かなり近い将来「B級カンフー映画ベスト3+1+おまけ」のタイトルで
マニアックで面白いカンフー映画を紹介したいと思う。
ツッコミどころ満載でかなり笑える作品が多い。
ちなみにA級カンフー映画の中では
ブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」、
ジャッキー・チェンの「蛇拳」が個人的に好きだ。
A級とは言え派手で面白いカンフー映画
(例えば燃えよドラゴンや酔拳)よりも、
少し暗目の仕返しモノがしっくりくるのは
自分のしつこい性格によるものかもしれない(苦笑)。
ブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」は
日本人としては微妙な話だが、
ラストのアクションシーンは
最高にゴイスー&ファンタスティックだ!
「迎春」
新年明けましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。
おかげさまでドラゴンジムは
今年で設立20周年を迎えることができました。
辰年(ドラゴンイヤー)の追い風に乗って
頑張りたいと思いますので
応援よろしくお願いします!
早速ですが1月5日(木)の
TBC東北放送の今年初の
「ウォッチン!みやぎ」は要チェックです!
佐々木淳吾アナウンサーに
超イケメンなビジュアル系の
某会長が寸止めムエタイを
やさ〜しく教えるコーナーが放送されます。
しかも最後は寸止めムエタイなのに、
3ノックダウンでどちらか一方がぶっ倒れる
ハードな内容になってます。
果たしてぶっ倒れたのは佐々木アナウンサーか?
それともビジュアル系の超イケメン会長か?
そして超イケメン会長の差し歯(前歯)が
ちゃんと入っているのか?
も見所のひとつです(笑)。
そして相棒のダッヂバンの足元を
リフレッシュしました。
人生も車も足元を固めるのは
非常に大事です(笑)。
ダッヂバンは車検切れで
しばらく走っていたらしく、
周りの勧めでようやく車検をとったらしいと
もっぱらの噂です。
ついでにツルツルで
ワイヤーが出ていたタイヤを
オフロード用のホワイトレタータイヤに
変えました。
やっぱり足元が決まるとカッコいいね!
ということで今年はそんな感じの
ドラゴンイヤーにしたいと思いますので
4946です(笑)。
1月4日から10日まで
初めての沖縄で遊んで始まった2011年。
今年は楽しいスタートとなったが、
冬でも暖かいオキナワに移住しようかと思った
44歳だった。
ドラゴンジムオキナワもいいね。
2月19日は45回目の誕生日だったが
皆からスルーされたのを覚えている。
2月20日(日)にブレスレスムエタイ7を開催。
セミはモニカ×高橋洋子、
メインは村上リエ×神風ユキミだった。
3月11日昼寝中に大地震。
慌ててパンツを履いて小学校へ行き、
非常扉に跳び蹴りしてJrを救出。
そのま保育所に泣き叫ぶ爆弾娘を
引き取りに爆走。
家族の無事を確認して車の中で待機。
車内のテレビでは仙台空港に迫る
津波の映像が流れていた。
まもなく雪が降ってきて
寒かったのを覚えている。
その日は余震が続いていたので車で寝ることに。
その日の夜はスーパームーンという
青くて大きい月が輝いていて
メチャメチャ静かだったのを覚えている。
次の日からというより震災直後から被災地はパニック状態になった。
停電で店やコンビニは閉まり、ガソリンスタンドには大行列ができ、
買い占めや泥棒が横行した。
夜は街灯が消えて真っ暗闇だった。
家族を秋田の実家に避難させて、
震災から5日目には石巻に入って
支援活動をしていた。
石巻市渡波地区では小競り合いがあって
久しぶりに不良な感覚が蘇ってきた。
3月19日石巻だけでなく
仙台の街灯も消えて暗い街中で、
真っ先にドラゴンジムの看板が光り輝いた。
本当に大変だったけど、
何もなかったかのように震災から
僅か8日後にジムを再開した。
真っ暗な仙台の新寺通りに唯一光る
ドラゴンジムの看板は絶対に忘れないだろう。
寂れている秋田県湯沢市柳町通りも
夜になると真っ暗で
明るいのはドラゴンジム湯沢支部の建物だけだ。
暗闇に光り輝くドラゴンの看板は
自分の誇りであり生き方そのものだ。
ドラゴンジムは誰もやらないこと(チャリティー興行)を
情熱を持って19年間も続けている。
大震災で様々な方々からの電話やメールや
熱い気持ちが送られてきた。
先行き不安だらけだったあの時に
力強く励ましてもらって感謝している。
ひとりじゃなくて日本全国で
心配してくれる人達がいるという事が力強かった。
皆さん本当にありがとうございました!
あの時の熱い気持ちは絶対に忘れません。
おかげで震災に負けじと今まで突っ走ってこれたのだと思います。
あの時の感激の気持ちと海沿いの悲惨な状況を見て
ムエタイで何かしたいという気持ちになった自分。
ドラゴンジムとしてチャリティーイベント「戦場」を
一回だけでなく連続で開催することにして
被災地支援活動をする事に決めた。
被災地で被災者達が開催する
チャリティーイベント「戦場」は今年だけで4回を数えた。
ドラゴンジム以外の方々からの熱い気持ちで何とかやりきったが、
ドラゴンジム内部では自分の力不足もあり
不満もあって、実際は大変だった。
GWには下田に家族旅行。
お気に入りの温泉でゆっくりするつもりが、
子供達の成長のおかげでかなり疲れた(苦笑)。
男として家族を何よりも大事にしたいと思うが、
実際は仕事優先になってしまっているのが
現状だ‥‥。
5月15日(日)Jガールズのメインイベントで
モニカと高橋洋子が再戦。
2人は震災を挟んで
熱い魂の戦いを繰り広げた。
5月22日(日)大変な状況の中で
大震災復興チャリティーイベント
「戦場1」を開催。
警察が乱入する騒ぎの中、
セミは村上リエ×安川賢、
メインは若山龍嗣×高橋茂章だった。
5月29日ドラゴンJrのタイトルマッチでは
納得できないことがあった。
自分は舐められたら暴れる事にしているので、
その通りにしてきた。
7月31日(日)には急遽Aリーグ13を
秋田県湯沢市で開催。
被災地から離れているので
のんびりしていた大会だった。
8月2日(火)津波で浸水した大街道会館で
5ヵ月振りに石巻支部が復活。
スタート時はたったの5人だった。
8月12日にはクイーンズカップがあり
自分が監督としてタイに乗り込んだ。
タイに行く前はゴタゴタで大変だったけど、
モニカがメインで女子キックの歴史に残る
激しい激しい試合で勝利した。
クイーンズカップの大会MVPも
モニカが受賞した。
試合後に自分に対して感謝の気持ちを込めて
礼を言ってきたのには感激した。
ベルトよりも名声よりも感謝の気持ちが
嬉しかった。
今までムエタイを続けてきて
本当に良かったなと思った瞬間だった。
タイでは昔修行していたソータニクンジムの
バンコーチや仲の良かったサミンノーイや
クンスックに3日連続で別々の場所で再会。
ムエタイの神様の存在を確信した。
9月18日(日)には大震災復興
チャリティーイベント「戦場2」を開催。
セミは モニカと自分のミット蹴り、
メインは若山龍嗣×キョウヘイ・ゴールドジムだった。
このあたりから戦場スタイル(倒すムエタイ)が
出来上がってきたような感じだった。
10月23日(日)には
Zepp仙台で大震災復興チャリティーイベント
「戦場3」を開催。
空手、キックボクシング、ムエタイ、K-1、
総合、プロレス、ボクシングの
有名なチャンピオン達が
ノーギャラで協力してくれた。
凄く華やかで盛り上がったイベントだった。
セミはニコラス・ペタス×コウイチ・ペタス、
メインはモニカ×神風ユキミだった。
試合後のセレモニーでアントニオ小猪木氏の
「震災をぶっ飛ばせ1、2、3、ダァーッ!」は
感動モノだった。
これをやりたくて「戦場3」を
開催したと言ってもいいくらいだった。
この頃、石巻支部の練習場所から
今年いっぱいで撤退しなければならなくなって、
新しい練習場所を探し始めた。
10月31日(月)にはNJKFの
藤田前理事長が亡くなった。
ドラゴン興行は中身は別として
NJKFよりも先に旗揚げしている。
藤田前理事長は秋田でのノーネームヒーローズに
わざわざ車を飛ばして駆けつけてくれた。
メインの自分の試合を見て、
「もっとスタミナをつけて頑張って」と
アドバイスしてくれたのを覚えている。
藤田前理事長は打倒ムエタイに
情熱を注いだ熱い方だった。
「合掌」
藤田前理事長が安らかに眠れるように
自分達が頑張ってキック界を盛り上げていきたいと強く思う。
でも実際は様々な利権や感情が絡み、
キック界の大同団結は難しいのが現実だ。
ドラゴンジムとしては来年は設立20周年を迎え、
しかも辰年(ドラゴンイヤー)だ。
だから追い風に乗って地方ながら派手な打ち上げ花火をあげたいと思う。
11月1日〜3日にはしばらく出入り禁止だった
ディズニーリゾートに久しぶりに入場。
家族サービスだったのに
45歳の不良オヤジがはしゃいでいた(笑)。
いい夫婦の日(11月22日)には
日本初のドラゴンプロジェクト(内容はまだ秘密)が始動。
2日後には10年振りに渋谷のピンクドラゴンで
誠一郎さんと再会!
12月4日(日)には大震災復興
チャリティーイベント「戦場4」をDarwinで開催。
6人のアマチュア王者が誕生した。
来年から彼らの中の何名かに
ワンステージ上の戦いを用意したい。
12月10日〜13日には九州武者修行の旅に出た。
毎日酒飲んでしゃべりまくって騒いでいた。
LEGENDメインの川間塾長×ピーター・アーツは凄かった。
クリームソーダの同期の鹿児島のミツルも頑張っていた。
久しぶりに不良なロカビリーイベントをやりたくなった
九州武者修行の旅だった。
クリスマスはサンタクロースをまだ信じている
ドラゴンJrと爆弾娘とチビのために、
シャープなもみあげの
サンタクロースが大活躍!
プレゼントや買い物に動き回っていた。
クリスマスのBGMはもちろん
エルヴィスのブルークリスマスだ。
ドラゴンジムに年末ギリギリでウォッチン!
みやぎ(TBC東北放送)の収録の話が
飛び込んできた。
マズい!
今、自分の前歯(2つとも差し歯)の
ひとつがとれて、
ハンサム(古い)な顔が
超間抜けな顔になっている(苦笑)。
興行の手伝いもせず久しぶりに電話をかけてきて、
いきなり「結婚しました!」と言う非合法な
自称薬剤師Jにムカついて怒鳴っていた自分。
そしたら怒鳴り過ぎでポロリと差し歯が落ちたのだ(苦笑)。
年末でバタバタと忙しいから、
TV収録の日までに差し歯が入るのかが非常に微妙だ。
今年いちばんの悩み事がとれた差し歯だ(笑)。
冗談はさておき今年のドラゴンジムのベストバウトは
アマチュアは「戦場4」の柏山愛美×森田洋子。
プロは文句なしにクイーンズカップのメインのモニカ×リズボーだ。
年間MVPは激戦をくぐり抜けて成長した若山龍嗣だ。
そして今年を振り返ると
ROLL OVER 3・11(大震災をぶっ飛ばせ!)に
つきると思う。
この大ピンチを乗り越えて
ドラゴンジムはもっと成長していきたい!
最後にドラゴンジムにかかわった
全ての人に感謝したいと思う。
裏方でサポートしてくれていた蛍原Kコーチ。
そして今年127の長〜いDRAGON66ブログを
アップしてくれた東広告製版の千葉君に感謝したい。
「皆さんご協力ありがとうございました。
来年も頑張りますので応援4649お願いします!」
「押忍 メス KISS!」
マサルさんと知り合って帰国して、
わずか2ヶ月後にはまたロサンゼルスに
きていた自分だった。
高校生の頃に見ていた雑誌の切り抜きを
マサルさんに見せたら
「RUBY'Sだろ。海辺にいっぱいあるよ。」
と言って50'Sなハンバーガーショップに
連れて行ってくれた。
17歳の時に見た1枚の写真に心奪われてから13年。
憧れ続けたハンバーガーショップに感動しまくっていた。
ルビーズバーガーとチェリーコーク
(50年代に流行したチェリー味のコーラ)を
オーダーするとマサルさんは、
「カッペクセ〜」とバカにしながら
自分もチェリーコークをオーダーして
うまそうに飲んでいた(笑)。
それから映画「ビックウエンズデー」のロケ地の
ビーチにも連れて行ってくれ、
興奮して写真を撮りまくる自分だった。
他にも50'S建築のゴイスーなプール付きの
家に遊びに行ったり、ジェームス・ディーンの
「理由なき反抗」のチキンラン(命がけのバイクレース)の
場所に行ったりして驚きの連続だった。
ロサンゼルスだけでなくアメリカ中部の
オマハにも一緒に行ってジュークボックスを買って、
苦労して日本に送ったのも忘れられない思い出だ。
それから何度も何度もロサンゼルスに仕入れに出かけた。
もちろんホテルではなくマサルさんの自宅に
泊めてもらっていた自分。
ロサンゼルスも大好きだったけど
マサルさんとのやり取りがメチャクチャ楽しかった。
あの頃はロサンゼルスに行く為に
仕事をしていた感じだったかもしれない(苦笑)。
ある時のロサンゼルス仕入れの最終日に
LAX空港までマサルさんに
送ってもらった時の事。
いつも冗談しか言わないマサルさんが
「佐藤、これからは自分でレンタカー借りて
自分で仕入れしてやるんだぞ。
もうお前のお守りは疲れたよ」と言ったので、
「だったらロサンゼルスにはもう来ませんよ」と
冗談で返した。
そしてマサルさんは西海岸の
眩しい日差しの下で少し離れた自分に
こう叫んだ。
「アディオスアミーゴ!」
なんかわからないけどカッコいいなと思いながら、
LAX空港のパーキングエリアでマサルさんと別れた自分。
そしてそれがマサルさんとの最後の別れとなってしまうとは
全く考えてもいなかった。
それ以来マサルさんと連絡が取れなくなり、
ロサンゼルスでの仕入れは続いていたけど、
レンタカーに安いホテルで
ひとりで動くようになった。
だんだんと慣れてきて
カリフォルニア州だけでなくアリゾナ州にも
仕入れの範囲を広げていたし、
趣味の古い車のフリーマーケット
(ポモナのスワップミート)や
パソロブレスのカーショーにも
行くようになっていた。
でも楽しさという点では
マサルさんとの冗談のやり取りには
遠く及ばない。
メチャクチャ楽しかったロサンゼルスの
仕入れも、当たり前だけど
仕事の色が強くなっていった。
今まで20回以上ロサンゼルスに
仕入れに行っているけど、
思い出すのはマサルさんとのやり取りだ。
自分にとってロサンゼルスイコール
マサルさんのイメージだった。
マサルさんと連絡が取れなくなった頃、
噂ではマサルさんは地元の札幌に帰って
古着屋をやっているらしいと噂で聞いた。
それから何度もひとりで仕入れしていたけど
マサルさんとは会う機会がないまま
時間だけが過ぎていった。
そして15年の月日が流れた。
久しぶりに渋谷のピンクドラゴンを訪ねて
誠一郎さんと10年振りに再会。
何とマサルさんが3年前に病気で亡くなったと聞かされた。
札幌のアパートで寂しい葬式だったそうだ。
冗談好きで面白くて豪快で
ロサンゼルスであれだけ成功していたのに‥‥‥。
マサルさんが死んだなんて自分には信じられないけど、
マサルさんはあの時(LAX空港)に
自分とは最後だとわかっていたのかも知れない。
だから普段は言わないのにアディオスアミーゴ(さらば友よ)と
言ったのだろうと思う。
マサルさん眩しい思い出ばかりをありがとう!
目を閉じると眩しい日差しの下の
LAX空港でのマサルさんとの
最後のシーンがはっきりとよみがえってくる。
あれはまるで映画のようなワンシーンだった。
ポパイや片岡義男を読んで
中学生の頃からアメリカに憧れて続けていた。
高校生になると、エルヴィスを聴いて
コカ・コーラを飲みリーバイスに
コンバースを履いてもっと深く
アメリカに憧れるようになった。
そんな自分が初めてアメリカに行ったのは
29歳の時だった。
当時、自分は飲食店DRAGON CAFEと
古着と雑貨の店JUNK SHOP DRAGONを
経営していた。
もちろんドラゴンジムをやっていた他にだ。
クリームソーダのA先輩と一緒に
憧れのアメリカ西海岸へ向かう飛行機では
興奮して一睡もできなかった。
ロサンゼルスのLAX空港には
クリームソーダ系の札幌の元不良の
コンノマサルさんが迎えに来てくれた。
マサルさんの経営する古着屋DO COMPANYへ行く。
日本人相手に大量の古着を卸す
ロサンゼルスの古着屋の規模に驚く。
デカい!体育館みたいな広さに事務所とトイレがあり、
広大なスペースに物凄い量の古着が
山のように積んであった。
角が丸くなった冷蔵庫やコカ・コーラの古い看板や
大量のリーバイス501を見てエキサイトしていた。
ロサンゼルスデビューの夜は
マサルさんとクリームソーダのA先輩と
中森明菜と中森明菜のマネージャーBさん
(クリームソーダの先輩)と自分の5人で
ロスのしゃぶしゃぶ屋の個室で食事。
時差ボケと憧れのアメリカだけでも
ゴイスーなのに、中森明菜が
目の前にいる事に全く実感がない自分。
しかも中森明菜が自分に色々と話しかけてくる。
会話の中身はキックボクシングの
話ばかりだったけど。
中森明菜が自分にずっと話しかけた理由は
態度のデカいしゃぶしゃぶ屋の
女将さん(日本人)と話したくないから
だったそうだ(苦笑)。
中森明菜からの質問に答える感じで
時間が過ぎていったが、
女将さん自慢の牛乳のラムしゃぶ(羊)は
ズイマーだった。
時差ボケでハイテンションな中森明菜を目の前にして、
凄いんだけど実感のないロサンゼルス初日の夜が更けていった。
何か良いことが始まるような予感があった。
そして中森明菜はマネージャーBさんの影響もあってだと思うけど、
まるっきりロカビリーな「Tokyo Rose」をリリースした。
プロデュースはストレイキャッツの
ブライアン・セッツアーでバックバンドは
クリームソーダのバンドMAGICだった。
そんなことがあり、中森明菜のTokyo Roseを
よく聴くようになった自分だった。
年齢的にも中森明菜はドンピシャなんだけど、
実は自分はバリバリの松田聖子派だ(笑)。
スイートメモリーズやビタースイートロリポップスは最高だ。
また大脱線事故だが、怪我人は出ていないようだ(笑)。
中森明菜との食事の後マサルさんの家に行って、
またまた驚いた自分。
そこは住人しか入れないようにガードマンがいる
山の上の高級住宅地だった。
かつてはメジャーリーガーの野茂選手も住んでいた場所で、
治安もよくて大きくてきれいな住宅ばかりだった。
マサルさんの家は一人暮らしなのに
デカくてL字型の平屋だった。
シャワーが3つもあり、芝生の中庭は広くて綺麗だった。
夜になると中庭から見えるロスの夜景(海も)がとにかく素晴らしかった。
時差ボケもあって変な時間に目が覚めると、
決まって自分は中庭に出て夜景をずっと見ていた。
まるでロスを支配したかのようなあの夜景は一生忘れないと思う。
真っ黒な夜空に無数のオレンジの光がまぶしかった。
昼は青い海と空が見渡せた。
憧れ続けていたアメリカ西海岸がまさに目の前にあった。
「よしアメリカに移住だ!英語勉強してロスでシボレーベルエア乗るか」
みたいな気持ちを抑えるのが大変だった(笑)。
それから西海岸最大のフリーマーケットの
ローズボウルに連れて行ってもらい、
感激して走り回って仕入れと言うより
買い物をしまくっていた(笑)。
スプートニクライト、50'Sの灰皿、
サイドテーブル、冷蔵庫、
ビンテージのスカジャンや
ハワイアンシャツやリーバイスや
エンジニアブーツ、フライトジャケット、
コカ・コーラの看板などなど。
自分が古いフィギュアが欲しいと
マサルさんに言うと、
「フィギュアはロスよりサンフランシスコにあるよ。
でも遠いから俺は行きたくないよ。」と言うので、
「自分が運転しますからお願いします」と
頼み込んだ。
ロスとサンフランシスコは
地図上では1センチくらいだから
2時間くらいだろうと軽く考えていた
アメリカ初心者だった。
でも実際は気候が違うくらい離れていて
車でぶっ飛ばして8時間以上もの距離だった(苦笑)。
「お前が運転するんだろ。あとはよろしく。」と言って
マサルさんはさっさと寝てしまった。
初めてのアメリカで右も左もわからないのに、
自分がひとりで運転してサンフランシスコに行く事に。
道がわからないだけでなく、
左ハンドルで右側通行しかも夜の運転と3拍子揃っていた。
さらに国際免許証を持っていなかったので、
ポリスに捕まれば逮捕ジェイルハウス行きだったのだ(苦笑)。
後部座席でずっと寝ているマサルさんを乗せて、
迷いながら10時間かけて事故も逮捕もなく
無事にサンフランシスコに着いた。
自分は長距離の運転は眠くなって不向きなんだけど、
あの時は興奮と緊張で全く眠くなかった。
毎回ながら自分の無鉄砲な行動力が結局後々に繋がっている。
マサルさんは寝ていたくせに「お前スゲエな!
普通初めてで運転できないよマジで」と言って驚いていた(苦笑)。
自分は初めての海外がタイへの3ヶ月の単身武者修行だった。
タイでは物凄い経験ばかりだったから度胸だけはついた。
だからタイだけでなく韓国やフランスやアメリカでも
物怖じせずに奥へ奥へと進んでは貴重な体験ばかりしてきた。
そうして苦労してたどり着いた
サンフランシスコではヘイトアシュベリーで
古着を仕入れたくらいで、
結局お目当ての古いフィギュアは
手に入らなかった(苦笑)。
アルカトラズ刑務所跡や
ゴールデンゲートブリッジや
チャイナタウンなどをまわって観光した。
スティーブ・マックイーン主演の「ブリット」で
サンフランシスコの急勾配の坂道を
ダッヂ・チャージャーとフォード・マスタングが
カーチェイスするシーンをイメージして、
少しだけスピードを出して車を走らせていた
無免許男だった(笑)。
それからロングビーチにある50'Sの家具屋の
スペースインベーダーとスターライトルームや
アンティークモールに連れて行ってもらった。
どこもかしこも発想力が凄くて
新しい50'Sを見せつけられた。
そしてここから50'S家具を
仕入れるようになった。
マサルさんが飼っていた
アメリカンエスキモー犬のリッキーも
自分になついて、
よく一緒に散歩に出かけていた。
トーレンスにあるKOREANレストランの
スンドゥブ(キムチ鍋)が気に入って
よく食べに行っていた。
リッキーのおみやげとして
コリアンバーベキューのあまりを
ドギーバックに詰めて戻ると、
リッキーは飛び上がって自分(骨つき肉)に抱きついてきた。
朝はトレーニングがてらランニングしながら
リッキーの散歩も兼ねて近所に出かけていた。
何度となく迷子になったけど、
その度にリッキーが助けてくれたのも忘れられない思い出だ(笑)。