5月10日(木)〜12日(土)までの3日間
ドラゴンボクシングスタジアムのリニューアル工事を
後輩の元宮大工Mとやっていた。
3月25日にオープンしたばかりのドラゴンボクシングスタジアムなのに、
早くもリニューアル工事って?
実はリニューアル工事ではなく、追加工事をやっていたのだ。
3月25日の「戦場5」までにスタジアムを間に合わせようと
出来るだけの事をしていたが、71%(中途半端)の完成度がやっとだった(苦笑)。
だから5月27日(日)の「戦場6」までに、
追加工事をして完成度を83%(まだ中途半端)までもっていこうと
あ〜だこ〜だ奮闘していた(笑)。
つまりドラゴンボクシングスタジアムはまだまだ未完成で、
完成まではあと半年くらいかかる見込み。
変なところにこだわる自分のマニアックな性格上、
余計な事ばかりしているのは紛れもない事実だ(笑)。
詳しい作業は企業秘密(企業?)だけど、
自分のこだわりは、他人にとってはどうでもいい事ばかりだろうと思うので、
あえて教えたい(笑)。
シャワールームの更衣室に換気扇を追加。
これで鏡が曇らなくなったので、
ナルシスト揃いのキックボクサーの皆さんの全身が
良く見えるようになりましたので筋肉チェック4649!
トイレへの出口から外の光が入ってきて
まぶしかったので、カーテンを付けました。
わかりづらいですが出口のステップも、
幅を広げて段差がないようにリニューアルしています(笑)。
これでスムーズにトイレへの出入りができて、
スタジアムに入り込む外光が減って、
かなり試合に集中できるようになりました。
そしてドラゴンボクシングスタジアム専用に
簡易トイレを買いました。
名付けてドラゴンブルートイレ。
何のひねりもありませんが、男子専用トイレになります。
従来の鍵つきの水洗トイレは女子専用になりますので、
予炉志駆です。
そしてGBRさんの安村カメラマンから
暗いと苦情が出ていたリング照明が一新!
今までは12個の照明だったのが、
4個追加して何と16個に。
さらに白熱電球から最新のLED電球にグレードアップ。
ニューフェイスA電気さんから
新しく配線してもらい、リング照明が
リニューアルしました。
3割くらいは明るくなったと自負していますので
チェック4946です。
DJブース(音響、照明)の入り口に
カーテンを付けて、客席から中が見えないようにしました。
音響担当のビッグKもお客さんも
お互いに試合に集中出来るようにしました。
さらにDJブースに待望のガラス(実はプラ板)を入れて、
木の枠を取り付けました。
ほとんどMの仕事ですが、自分は心を込めて
木に水性ニスを重ね塗りしました(笑)。
有名なファイターが集まった「戦場3」の
プレゼント用のサイン入り色紙を額に入れ、
光るブッダの下にセット。
ガラス(実はプラ板)に光る赤いブッダに
色紙という素晴らしい縦のコンビネーションに
感動して震える自分(笑)。
矢本消防署に何度も掛け合って、
出してもらった打開策の火災警報機を、
ニューフェイスA電気さんにセットしてもらう。
他にも高輝蓄光式の非常口看板を7つと
消火器2つを配置した。
B電気屋さんの120万円とい
う火災警報機一式の心ない見積もりに驚き、
いろいろ苦労したけど
自分(値段は10分の1以下)で何とかやり遂げた。
これで万が一の時に役に立ってくれるだろう。
すり鉢状の座席にも歩く場所と区別するための
カーペットを敷いた。
上の段には通路として両サイドから登るようにした。
これで座席との区別がはっきりしたと思う。
後は座席に数字を入れれば、座席は完成だが、
その予定は未定だ(苦笑)。
今回のメインの等身大のブッダの設置には特にこだわった。
ブッダの色も練習生の塗装のプロNに真っ赤に吹き付けてもらい、
内側の電球をLED電球に交換。
蓮の花をかたどった台座を元宮大工Mに作ってもらい
黒く塗ってセットアップ。
あまりの出来の良さに感動!
思わず拝んでしまう真っ赤に光るブッダは、
ドラゴンボクシングスタジアムの守り神その2だ
(守り神その1はDJブースの下のケースの中のブッダ)。
赤く光る2つのブッダは、
これからドラゴンボクシングスタジアムの試合を見守ってくれるだろう。
写真では半分も感動が伝わらないので、
直接スタジアムで拝んで欲しいと思う。
チケット代がお賽銭代わりだ(笑)。
その守り神その2の下にデカい額に入った日本の国旗をセット。
もちろんただの国旗ではない。
震災後に始めたチャリティーイベント
「戦場」シリーズに参戦してくれた
熱い格闘家達の魂のメッセージ入りの日の丸だ。
わずか1年だけど、大震災からの
激動の1年間の歴史が刻まれているので、
是非ともドリンクを飲みながら見て欲しい!
他にもアメリカで買ってきて以来
ずっと倉庫で眠っていた、古いコーラの
電光看板がようやくデビュー。
ドリンクコーナーを盛り上げてくれること間違いナシ!
ドラゴンボクシングスタジアムドリンクメニューの
オススメはシンハービール(タイで一番旨いビール)と
ルートビアー(アメリカで一番薬っぽいノンアルコール飲料)だ。
選手控え室(ドラゴンジム石巻支部)への
立ち入り禁止の看板もこだわった。
入手経路は不明とするが、
米軍基地の立ち入り禁止看板の実物をセットしている。
あんまり意味はないけどシャレオツだ(笑)
ドラゴンボクシングスタジアムに隣接する
ドラゴンジム石巻支部もついでにリニューアル。
つーか棚にペンキ塗って、赤いブッダを移動して、
ブッダの台座もペンキ塗っただけなんだけど(しかもMが)。
それとジムの入り口横に郵便ポストをようやく設置したので、
請求書ではなく、ファンレターどしどしお待ちしております(笑)。
これらのビフォアアフターは5月27日(日)の
チャリティーイベント「戦場6」で直接チェックして欲しいと思う。
あとは客席に番号をつけることとリングのロープカバー、
コーナーマットカバーにドラゴンボクシングスタジアムの
ロゴマークを入れることと、リング広告(ラビット空手)をつくることと、
ドラゴンボクシングスタジアムのチャンピオンの写真を飾ることと、
ドラゴンボクシングスタジアムのステッカー、Tシャツ、
キーホルダー、タオルを作ってスタジアム売店で
限定販売することと、残りの看板(現在はまだ70%)をつけることと、
スタジアムと同じ色の愛車ダッヂバンに
ドラゴンボクシングスタジアムのロゴマークを入れて
コマーシャルカーにすることと、年間スポンサーを募ることと、
仙台コカコーラのロゴ入りベンチを
ドラゴンコーラに書き換えることと‥‥‥‥‥‥‥。
一体いつになったらスタジアムが完成するのか?
自分にもわからない(苦笑)。
これからもスタジアムが良くなることを考えて
あれこれやっていきたいと思う。
「う〜ん、これぞまさに未完成の美学だ(笑)。」
GW期間中ずっと秋田支部で
ダイナマイト柿崎とマンツーマン特訓していた。
家族サービスの旅行を取りやめて
地元に行ったので、昼間には3人の子供達を連れて、
近所の様々な公園で花見がてら遊んでいた。
去年は震災直後だったし、花見どころではなかった。
しかも昨年末から今年の4月まで、
4ヵ月間もの長い間ドラゴンボクシングスタジアムの
暗くて埃っぽい建設現場で悪戦苦闘していた。
しかも連休初日の夜から、寝ないで
1人で金属バットを振り回していたので疲れていた(笑)。
だから余計に満開の桜が心に染みた。
春の穏やかでゆったりとした感じが体中に行き渡って、
それだけでとても幸せに感じた。
ドラゴンファミリーにとって、
今年4回目の花見となるN公園で遊んでいたら、
すぐ側を電車が通り過ぎていった。
その電車を見て一瞬で高校時代にまで
フラッシュバックしてしまった。
自分の身体は子供達のはしゃぐ声が流れる
幸せな現在のN公園に残って、
頭の中は29年前にタイムスリップしていた‥‥‥‥‥。
29年前の春、高校3年17歳の自分は
映画監督を目指して進学校で真面目に勉強していた(笑)。
周りの高校が休みだったので、自分も学校をサボった。
後輩達と仲間7人が集まり、花見をしようということになった。
花見をしようにもお金なんか全くない時代だったが、
仲間には役者が揃っていた。
詳しくは書けないが、ルパン三世やピンクパンサーが
おばあさんの酒屋で調達。
つまみ類は実家が店をやっている後輩を呼び出して、
出世払いということで強制的にツケで仕入れていた。
お金はないがアイデアと行動力はあったので
1時間くらいで大宴会の準備が整った。
今ふりかえると、本当に古き良い時代だった(笑)。
大チョッパーハンドルのチャリ集団は
カゴにタダで仕入れた酒、タバコ、つまみを満載して
桜咲くN公園へと向かった。
時間はお昼12時くらいだった。
さすがに昼間っから高校生が酒飲んで宴会ができるほど、
寛容な古き良き時代ではなかった。
だからN公園の側を通っている高台の線路沿いにある、
人目につかないリンゴ畑が花見の宴会場に選ばれた。
花見なのに桜が見えないというのが問題だが、
少し歩くと線路の向こうに桜が見えた(苦笑)。
不良高校生にとっての花見は、
桜よりも安全性(見つからないこと)が
重要だった。
宴会が始まって、いつも通りのクレイジーな
ノリになるのにさほど時間はかからなかった。
後輩達に歌を歌わせ、プロレス技
(ラリアット、ブレーンバスター、バックドロップ)が
炸裂し、リンゴの木をサンドバックのように
蹴りまくっていた。
早くもローゲーする奴もいて、
午後には狂乱の宴になっていた(笑)。
メチャクチャに酔っ払った自分が、線路を見て
電車を止めようと言い出して、
側にあった太い丸太を線路に置こうともがいていた。
さすがにみんな酔っ払っていても、
誰も度を超えたいたずらに賛成する奴はいなかった。
だけど言い出したら止まらない自分は、
皆の制止を力ずくで振り払い
重い丸太を線路に運ぼうとしていた。
もうすぐ下りの電車が来るから、
それまでに間に合わせようと
気合いを入れて頑張っていた(苦笑)。
皆の制止もあり、自分のとんでもないいたずらは
ギリギリ未遂に終わったが、
下りの電車に乗っていた先生に、
丸太を引きずっている姿をバッチリ目撃されていた。
もちろん翌日に呼び出され、
「お前は学校サボって何やっていたんだ?」
と怒鳴られていた。
答えられる訳ないので黙っていたけど‥‥‥。
線路と言えば映画「スタンド・バイ・ミー」が
有名だが、自分的には線路と言えば丸太だ(笑)。
花を見ない花見というよりも狂った野外の宴会は
3時間くらいで無事?に終わった。
自分は記憶が飛び飛びなので
部分的にしか覚えていないが、
皆酔っ払ってふらふらでチャリで家に帰って行ったらしい。
自分は酔いすぎてチャリに乗れず、
途中の路上でローゲーしていた。
側にいた後輩の話だと、
道端でうずくまっている自分を心配してくれた
親切なおばさんがいたそうだ。
それなのに自分は、おばさんが連れていた小犬が吠えただけなのに
「タイマンはるのか?コノヤロウ!」と子犬にケンカを売っていたらしい(苦笑)。
覚えているのは後輩の家の庭の木が燃えていて、
後輩の親父が一生懸命消火活動していたことぐらいか。
うるさい夫婦喧嘩の声で目が覚めたら、何と後輩の部屋のベッドの上だった。
時間は深夜2時を過ぎていた。
後輩は親の夫婦喧嘩に参加して叫んでいた(笑)。
後輩にラーコーを買いに行かせて
大型ラジカセのスイッチを入れると松田聖子が流れた。
ローゲーした後だから頭も体もスッキリしていて、
「あれだけ騒いだのに警察に捕まらなくて良かったな」
なんて記憶も無いくせに楽しそうにしゃべっていた。
結局、タバコ(CASTER)とコカコーラとポテトチップスで
後輩と明け方まで盛り上がっていた。
その後輩は後にドラゴンジム所属のキックボクサーとして
後楽園ホールでデビュー(判定勝ち)し、
韓国の慶州で世界タイトルマッチ(判定負け)まで経験した。
リングを降りた後は、宇都宮で非合法な団体職員と
乱闘騒ぎを起こし、上野で半年ホームレスも経験して、
現在は行方不明だ。
自分が名古屋にスカジャン刑事(デカ)として乗り込んだのは、
この後輩が名古屋に逃げたためだった。
「うーん、あれから29年か‥‥‥‥‥‥‥
過ぎてしまえば一瞬だな。
でも約30年が一瞬なんてことは、
人生90年長生きしたとしても振り返ったら一瞬×3で、
やっぱり一瞬なのかもしれない。
まだまだ全然納得できないから、もっと頑張らないと。」
時間にしてほんの一瞬だけど
29年前にタイムスリップした自分に、
N公園の子供達からかくれんぼの鬼役が回ってきて、
ようやく2012年GWの自分に戻った。
「パパが鬼か、よ〜し、いくぞ〜!もうい〜かい?」
「まあだだよ」
「もういいんじゃないかい?」
「まあだだよ」
「もうそろそろいいんじゃないのかい?」
「まだだよパパ、もっとゆっくりやってよ!」
「は〜い、すいませ〜ん(笑)」
N公園の満開の桜は今も昔も変わらずに、
自分達を優しく見守ってくれていた。
子供達と桜並木でかくれんぼをしながら、
春や桜や生かされていることに感謝した
父親46歳だった。
前回のジャパニーズムエタイ1 弘中史樹から
かなりの年月が経ったが、「戦場5」の
弘中史樹VS白岩義也戦を見て感動して、
ある試合を思い出したので
パート2を書きたいと思う。
1995年から秋田県湯沢市で
ずーっと続けて開催していた
チャリティーキックボクシングイベント
NO NAME HEROES。
当時、前例のないジム設立と自主興行開催で、
全く関係のない競技の大御所からも
嫌がらせされていた。
そしてマスコミ関係に圧力をかけられて世間に知られないようにされていた。
5年くらい前、タイのプーケットでムエタイカメラマンのS田君
が酔っ払って自分に「あんなことされてもムエタイを辞めないのは凄いですね」
と言ったくらいの酷い嫌がらせだった。
自分の目の前では親切な身内のふりをしていた恩人が、
実は裏では自分の足を10年以上も引っ張り続けていた。
仙台に移ってようやく関係を断ち切ることができたが、
今思えばオセロの中島状態に近かったと思う。
そんな昼ドラよりゴイスーな状況でも、
腐らずにムエタイを通して熱い活動を続けてきた。
なぜならムエタイが好きだからに他ならない。
自分達ドラゴンジムが前例をつくったから、
今のような誰でもどこでも興行が出来る穏やか時代になったのだと思う。
いつも通り熱くなってしまった(苦笑)、本題に戻ろう。
そんな知られざる熱いドラゴン興行(60回以上)で、
鮮烈に記憶に残っている激アツの試合がいくつもある。
その中のひとつが1996・5・26の
NO NAME HEROES・〜蹴撃激震〜の
相原幸裕(SVG)VS伊東マサシ(町田金子)の5回戦だ。
NJKFの名門町田金子ジムの内弟子の伊東マサシは、
がっしりとした骨太な体格から繰り出す
パワフルな攻撃を得意とするムエマッド。
パンチからのローキックやミドル、
首相撲からのヒザもこなすガチガチのファイターだった。
昔のムエタイで言えばスーパーレック・ソンイーサン、
今(ちょっと古いけど)で言えば
ボーウィー・ソーウドムソンのようなタイプだった。
偶然(必然)にも伊東マサシは
Jムエタイ1の弘中史樹の半年くらい先輩で、
同時期に町田金子ジムの内弟子だった。
弘中に伊東のことを聞くと
「何に対しても熱い男で、大の負けず嫌いでした」
という答え。
他には太りやすい体質の為に、
いつも腹筋をよくやっていたとか、
結構マメにタイ料理を作ったりしていたそうだ。
タイのジッティジムでムエタイ修行を経験したことと、
イケイケのファイターだということ以外は、
ほとんど伊東の事を知らずにSVGの後輩の
相原幸裕と試合を組んだ自分だった。
そしてこの試合が会場を沸かせる大激闘となった。
秋田県湯沢市での試合だったので、
岩手県盛岡市の両親を呼んでいた相原。
しかも試合前にはタイのソータニクンジムでムエタイ修行もして、
この試合(相原の引退試合)に挑んでいた。
自分が知る限り、相原がいちばん気合いが入っていた試合だったと思う。
その気合いが入っていた相原と
バチバチの大激闘を繰り広げ、
会場を大いに沸かせた伊東マサシには感動した。
パンチからのローにミドルを織り交ぜ
休みなく攻撃し、相原のパンチ連打を受けながらも
前に前に出続けた伊東マサシ。
あれはまさに肉弾戦といえる激しい試合だった。
SVGの後輩達の中でもタフさと頑丈さでは
新田明臣と双璧の相原幸裕を、
4ラウンドで心を折ってマットに沈めた
伊東マサシには会場から割れんばかりの拍手が贈られていた。
「スゲエ奴が出てきたな。アイツは将来絶対チャンピオンになるよ!
勝山、お前が次に伊東とやれよ。」と興奮して
勝山恭次(当時ライト級2位)に話していた自分だった。
ちなみにこの日のセミファイナルが
新田明臣(SVG)
VS
ウィラサクレック・ウォンパーサー
(現ウィラサクレックジム会長)で
メインイベントは
DRAGON RYO(自分)
VS
メオパー・フェアテックス
(元ラジャダムナンスタジアムバンタム級5位)だった。
試合後、感激して伊東マサシに話しかけると
「秋田の試合が自分のベストバウトです!
今まででいちばん楽しい試合でした。
試合組んでもらってありがとうございました。」
と逆に感謝されてしまった
プロモーター兼メインイベンターだった。
信じられないことだけど、それから間もなくして
伊東マサシはバイク事故で帰らぬ人となった。
NJKFの旗揚げ興行の5日前の早朝のことだった。
そのベイNKホールでの試合から5回戦に昇格が決まっていたのに‥‥‥‥。
伊東が交通事故に遭っていなければ、
5回戦昇格試合の相手はキングジムの小出万吉だった。
驚くことに自分の日本デビュー戦の相手が小出万吉だった。
この試合は自分が交通事故に遭ってケガで流れ、
自分の代打として後輩の相原幸裕が出てKO勝ちしている。
その相原幸裕を伊東マサシが大激闘の末KOで下して、
伊東マサシの昇格試合の相手が小出万吉で、
しかもまた交通事故なんて。
これって‥‥‥‥‥。
秋田でのチャリティーイベントNO NAME HEROESの
対相原戦がラストファイトとなってしまった伊東マサシ。
「秋田の試合が自分のベストバウトです!」と言った伊東マサシは、
その先に起こることなど知る筈ないと思うけど‥‥‥‥本当に残念だ。
22歳という若さで逝ってしまった伊東マサシ。
伊東が憧れていた選手はムエタイだけでなく
国際式でもチャンピオンになっているウィラポン。
パンチで勝負するムエマッドとして前途洋々だったのに‥‥‥。
あのままいけばチャンピオンになるのは確実だったと思う。
あれから16年が過ぎた。
リング狭しと暴れまわっていた伊東マサシの
パワフルなコンビネーションが、
今も心にはっきりと焼き付いている。
伊東マサシ
(本名 伊東正資)
町田金子ジム所属
1974年4月21日生まれ
栃木県出身
1994年1月23日森潤一郎(アクティブJ)を
判定で破りデビュー
168センチ
ライト級
右ファイター
国内戦績 6戦4勝2敗(2KO)
この他にタイのヤソトーンのムエワットで2戦2勝(1KO)
本人が選んだベストバウト
NO NAME HEROES・の相原戦
「合掌」
4月29日AM3:12に携帯電話が鳴って飛び起きた。
知らない番号からの非常識な時間のコールに
家族が起きないようにすぐに電話を切った。
そしたらまたすぐに同じ番号からかかってきたので、
頭にきて携帯の電源を切った自分。
「こんな夜中にかけてきやがって一体誰だ?」
ムカついて眠れない46歳。
4月28日(土)は午前中に仙台本部でキッズクラスの指導、
午後から子供達と遊んで、4時に自宅を出発して
3時間ものロングドライブをして秋田入り。
すぐに秋田の湯沢支部でダイナマイト柿崎とのマンツーマン特訓。
11時に帰宅して食事して寝たのが1時半だった。
ようやく寝たと思ったら1時間半くらいで電話で起こされた自分。
「誰だ?あいつか?いやアイツか?それともあの野郎か?
まてよアノヤローか?まさかあの馬鹿野郎か?」
少年時代からの数々の悪行のおかげで、嫌がらせ電話の相手は
絞りきれないだけでなく増え続けていく(苦笑)。
「夜中の嫌がらせ電話なんて、この俺もナメられたもんだな」
と布団の中でずっと考えていたら、イライラして眠気が完全に覚めた。
そしたら午前3時半頃、実家の外で
バイクが走り去る音と複数の人の気配がした。
側で寝ている家族を起こさないように、そ〜っと起きた元不良46歳。
1本の電話を昔叩きのめした野郎達が
つるんでの仕返しと決めつけた元不良は、
玄関にある金属バットを握って実家を飛び出した。
薄暗い中、金属バットを握りしめて戦闘モードで
近所を歩き回る目つきの悪い不審者。
その不審者はストレッチをしたあげく、ヒジとヒザを使った
怪しげなムエタイのシャドー(ボクシング)まで始めた(苦笑)。
周りが明るくなってきて、
ようやく敵がいないと感じた不良46歳は実家に戻った。
対戦相手がいないので、実家の台所で着信履歴を見て
対戦相手に電話をかけようと携帯の電源を入れた。
そしたら例の電話番号で留守電が入っていたので、
聞いてみると疲れた女の人の声が入っていた。
「あの〜〇〇〇〇から来た者ですけど〜指定された場所で
ずっと待ってるんですけど〜まだなんでしょうか?
待ってますのではやく来てくださ〜い。」
「はあ?‥‥‥‥‥‥‥‥。」
何と出逢い系の待ち合わせの間違い電話だったのだ!
怒りの収まらない自分は着信履歴の番号に
クレームの電話をかけたが、先方は忙しいらしく応答はなかった(笑)。
こんなことなら最初に電話に出ていれば、
間違い電話だけで済んだ筈だった。
どうやら自分が血眼で探していた大馬鹿野郎は、
明け方に金属バットを握りしめて実家の近所をうろついていた
46歳本人(つまり自分自身)ということになる(苦笑)。
日頃の行いのあまりの悪さに、
仕返しと勘違いして金属バットを振り回し、
最後は苦笑いするしかなかった不良46歳。
悪い夢を見たという事にするしかない。
というか夢遊病の一種かもしれない(苦笑)。
昔、クリームソーダで働いていた頃、
路上をバイクを空吹かししながら集団で走り回るグループとケンカになった。
人数的にはキツかったが、ほぼKOで勝った。
そしたら非合法な団体職員を名乗る男から
クリームソーダに脅迫電話が何度も掛かってきた。
しばらくベルトのバックルがカイザーナックル(笑)に代わり、
ガールフレンドの代わりに金属バットを抱いて眠っていた。
結局何にもなかったけど、青春時代の甘酸っぱい思い出のひとつだ(笑)。
いつもの脱線ということで、
ただいまゆっくりとお気に入りの
カルディのドリップコーヒーを入れている。
味だけでなくヒーコーのオイニも楽しんでいる
優雅なひとときだ。
時間は午前6時14分を過ぎた。
運動した後だからなのか、
ほとんど寝ていないからなのか、
ヒーコーがやけに苦く感じる(笑)。
青い目の女サムライことモニカ(25歳)が
スウェーデンに帰国して1カ月。
入れ替わりにプリティな青い目の女小サムライこと
ジェシカ(4歳)がアメリカからドラゴンジムにやってきた。
ドラゴンTシャツがかわいいジェシカ(18キロ)は
年内にドラゴンボクシングスタジアムのリングで
デビューさせたいと思う。
ジェシカのおかげでまたも自分の
ブロークンイングリッシュが炸裂中(笑)。
気になるジェシカのファイトスタイルは
バリバリのムエマッド(パンチ主体のファイター)だ。
ドラゴンジム仙台本部には
他にも6歳の黒い目の女小サムライこと
高橋日和(4戦3勝1敗)もいる。
石巻支部はキッズが増えていて、
いつもギャーギャー大盛況。
秋田支部のキッズクラスにも
2人のニューフェイスが入会して頑張っている。
ドラゴンジム全体として40人のキッズが在籍している。
キッズはムエタイを通して
いろんな経験をさせたい。
その最たるものがリングでの試合だ。
ほとんどの親御さんが経験したことのないリングでの試合。
子供達は試合で勝っても負けても貴重な体験をしている。
途中であきらめない、最後まで頑張り通す、
たくましい子供になって欲しいと思いリングに上げている。
ドラゴンジムの将来の為にも、
モニカに代わるヒロインが必要だ。
だから気の長すぎる話だけど、
黒い目と青い目の女小サムライを
新たなるヒロインに育てたい(笑)。
5月20日(日)K-1王者アーネスト・ホーストが仕掛ける
名古屋のビッグイベント「ホーストカップ」に
ドラゴンジムのダイナマイト柿崎が出場することになった!
「ホーストカップ」は中部ローカル局ながら
地上波放映もある一大格闘技イベント。
有名な選手たちが大挙して参戦する中で、
前座ながらインパクト特大の試合を見せたいと思う。
尾張名古屋には今まで1回だけ(半日)
上陸したことがある自分。
それはムエタイの試合の為ではなく、
逃げ出した後輩を捕まえるために
スカジャン刑事(デカ)としての名古屋入りだった(笑)。
話が長くなりそうなので止めておこう。
ゴイスーなスカジャン刑事の話はまた後で‥‥‥。
ダイナマイト柿崎は秋田県に3つある
ドラゴンジムの支部を渡り歩いて練習している
今時珍しい超真面目なムエマッド。
熊本でのLEGEND2の柿崎の判定負けは、
自分が1回もミットを持たなかったのが原因だった。
負けるのが大嫌いで、勝つのが大好きな
ドラゴンジム会長はGW家族サービス旅行を
取り止めた。
試合に勝って、名古屋でマイウーな酒と
名古屋名物にありつく為に、GWの休み中
ずっと秋田入りするつもり。
毎日朝晩ダイナマイト柿崎とマンツーマンで
地獄の特訓予定。
つーか本当に練習で地獄を見ないと
試合で勝てないというのが自分の考えだ。
(追い込まなくても勝つこともあるが‥‥)
名古屋といえば自分的には
パラダイスロード(ファラオス、ローライダーの
カスタムで有名)と
ドライボーンズ名古屋店(シャレオツな不良の
洋服屋)が真っ先に頭に浮かぶが、
プライベートな時間は全くないので
泣くしかない(涙)。
だからKOで勝ってドラゴンジムここにありと
名古屋で吠えたい!
皆さまには陰ながら応援4946です。
お土産はないですが、長くてくどい
名古屋のお土産話だったら
後ほどたっぷりと用意しておきます(笑)。
4月23日(月)にファイト&ライフ5周年記念特別号が
発行されました。
ファイト&ライフの編集部の皆さん
創刊5周年おめでとうございます!
これからも格闘技界発展の為に
ファイト&ライフを長く発行し続けてください。
重い歴史がある表紙をめくると、
何と現代のサムライ加藤清尚師範が特集されている。
46歳で鍛錬を欠かさないストイックな
武道家の言葉に嘘はない。
加藤師範の得意技は
「必殺横正拳掌底受け鼻戻し」だ(笑)。
更にページをめくると現役チャンピオン100人が贈る
メッセージのコーナーにドラゴンジムの村上リエが載っている。
一番辛かったことは自分との首相撲だそうだ。
あれがあったから、村上のパワフルで頑丈なボディと
無敗記録がつくられている。
女子キックボクサーで自分と首相撲を45分できるのは
世界中で村上とモニカしかいないだろう。
更にページをめくるとコアな記事が載っていた。
「早田寛が語るタイとムエタイ」は表に出たがらない
S田君には珍しく顔写真ありで特集されていた。
S田君にはタイでいろいろとお世話になってきた。
S田君の顔を見ると、シンハービアを思い出して
タイに行きたくなってしまう(笑)。
そしてメインイベント「被災地石巻に
日本初のムエタイスタジアムがオープン!」
の記事を読んで泣いてしまった(涙)。
誰にも出来ないことにチャレンジする
ドラゴンジム佐藤会長のファンになってしまった。
ファンクラブがあれば是非とも入りたいと思う(笑)。
いろいろな面でかなりアバウトなタイ人ですら、
津波が来なかった場所に
新しくムエタイスタジアムを移している
(カオラックのスタジアムとピーピー島のスタジアム)のに、
わざわざ津波の被害があった場所
(1メートル50センチ)に
ムエタイスタジアムを新しく造るなんて‥‥‥‥。
タイ人もクリビツ!
まさに神をも恐れぬ行為だ(笑)。
しかも日本初の常設のムエタイスタジアム!
我ながらゴイスーだと思う。
実は昔から自分のムエタイスタジアムを
造ってやると心に決めていたのだ。
その夢が結果的に大震災の影響で
実現することになった。
4ヶ月かけて悪戦苦闘の末、
完成したドラゴンスタジアムは自分の誇りだ!
皆さん!ファイト&ライフの今月号は
ファンタスティックな内容盛りだくさんで、
ドラゴンジムにて880円で絶賛発売中です。
本屋さんにはなかなか置いてないので、
お早めにGET師句世露です!
長崎のトーナメント打ち上げ会場では
優勝者や東京からの選手が一次会で
さっさと帰り、NさんとK会のメンバーと
自分と関東の元チャンピオンSさんで
2次会場へ。
酔ってきて少し機嫌が良くなってきたNさんに
Sさんが判定がおかしいと直訴。
また不機嫌になるNさんから
Sさんを引き離してSさんと一緒に飲む。
自分よりひとつ年上のSさんは元チャンピオンで
現在関東でジムを開いている。
その日は2人の有名なチャンピオンを連れてきていた。
Sさんも地元ではかなりアグレッシブで有名な人物。
Sさんが地元のレーシングチームの話題を出すとNさんがすかさず
「レーシングチームじゃなくて暴走族の間違いじゃないの?」
と突っ込んでいた。
3次会はNさん御用達の大人のムード満点の店。
メンバーはNさんとK会の師範代さんと
Sさんと自分の4人。
時間は深夜1時を過ぎていた。
Sさんから現役時代のすごく面白い話を聞いたけど、
生々しくてブログには書けない。
Sさんはせわしなく携帯で弟子たちに連絡している様子。
そして深夜2時の長崎の飲食ビルで事件は起きた‥‥。
打ち上げから離れて自由行動をしてしまった、
若くて遊びたい盛りの2人のチャンピオンを呼びつけたSさん。
「お前ら遊びに来てるんじゃあねえんだぞ!
何やってんだ!」と怒鳴るSさん。
「まあまあいいじゃあないですか」と自分がなだめると、
Sさんが「お前ら佐藤会長に謝れ!」と言って
全く関係ない自分に2人を謝らせたのだ(苦笑)。
そして深夜2時すぎに飲み屋の通路で
腕立て100回を命じたのだ!
「腕立て100回今ここで?」
腕立てが終わるまで「コイツらは自分がミットを持って
育てたんです」とSさんが自分に
腕立てをしているチャンピオン2人を
丁寧に紹介してくれた(笑)。
この時、自分は不良としてもジムの代表としても
まだまだ上がいるんだなと衝撃を受けた(笑)。
ジムではない場所でさらりと夜中に
腕立て100回と言える関東伝説の男Sさんを見て、
自分はまだまだ甘くてやさしいんだなと思わされた。
Sさんはその後世界チャンピオンを育てあげ、
地元で赤コーナー側が全勝した
自主興行も開催し勢いは全く衰えていない。
その試合に呼ばれた自分は
判定に納得できなくてSさんにクレームをつけた。
そしたらSさんは「今日はお祭りみたいなモンだから」
という訳のわからない答えを自分に返した。
「お祭りみたいなモン」?
Sさんの並外れた答えにまた驚かされた自分だった(苦笑)。
現役時代のSさんはイケイケの
パンチパーマ風の髪型だったが、
現在は2枚目風の爽やかな髪型になっている。
体型も現役当時のように引き締まっている。
たまに試合会場で会うと必ず側にいる選手に
強制的に自分に挨拶させるSさん。
試合会場ではすごくソフトで腰の低いSさんは
かなり不気味だ(笑)。
本当に長崎の夜はアンビリーバボーで
ちゃんぽんナイトだった。
実は腕立ての後にファンタスティックな
ロシアンガールズが登場して、
気がついたら朝5時を過ぎていた。
ホットな長崎のゴイスーナイトにくりびつ佐藤だった(笑)。
ところで老舗のキックボクシングジムの会長には、
自分も含めて同じ地元じゃなくて良かったというような
優れた人物が多いような気がするのは自分の考え過ぎだろうか?
K会代表のNさんに呼ばれて九州の長崎に
試合で4回くらい行ったことがある。
長崎では3回目くらいまでには
中華街の長崎ちゃんぽんはほとんど制覇していて、
お気に入りの長崎ちゃんぽんも見つけていた。
九州の豚骨ラーメンは自分にとって
いまだに難解な味だが、
長崎ちゃんぽんはど真ん中のストレートで
大好物のひとつだ。
いつものように話がそれたがNさんは
〇ブ・カーマンやヒクソン・グ〇イシーとも
闘っている九州伝説の男だ!
Nさんは自分よりもちろん年上なのだが様々な分野でとてもアグレッシブ。
当時のドラゴンジムにCとMという
十代の女子ファイターが2人いた。
九州伝説の男NさんはCとMを気に入り
長崎での試合に連続で呼んでくれた。
試合後の打ち上げで2人とメルアドを
うれしそうに交換しているNさんは
今の自分くらいの年齢だった筈だ。
交換後すぐに絵文字入りでメールする
アグレッシブなファイトスタイルのNさんに驚かされた(笑)。
Nさん率いるK会では45歳にならないと
引退できないという話を聞いた。
なるほど熱い!代表が熱いし周りのK会のメンバーも
個性的で熱い人ばかり。
そして何よりNさんを先生として尊敬していて、
結束力がハンパではなかった。
Nさんの興行ではプロの試合の前に
アマチュア選手ではなく素人がリングで闘っていた。
驚いてNさんに聞いてみると「素人喧嘩マッチだよ」と教えてくれた。
「素人喧嘩マッチ?」
「リングで闘っている不良たちは練習生なんですか?」という
自分の質問に「違うよゲームセンターで声をかけたんだよ」とNさん。
「ゲームセンター?」
金髪リーゼントで刺繍入りの特攻服姿の立派な身なりの若者達が、
右のパンチのみでバチバチ殴り合っているのを見て感激!
すぐに自分も仙台でブレスレスムエタイの前座で素人喧嘩マッチを始めた。
仙台ではゲームセンターではなく人づてに
喧嘩自慢の不良を探し出してジムに呼びつけて納得させた。
もちろん東京で素人喧嘩マッチの類いが始まる前の話だ。
Nさんの興行の打ち上げで、
判定に納得できない自分がNさんに
今野孝親(ドラゴンジム)とニック・ヒョード(K会)の
再々戦を迫った。
「もう1回やらせてください!
次は必ず今野が勝ちますからお願いします!」
すると話が膨らんでNさんが
「じゃあ100万円を賭けて他の選手を集めて
トーナメントをやりましょう」という話になった。
飲み屋での会話だったが、
100万円を賭けたミドル級8名によるワンディトーナメントが
本当に長崎で開催されることになった。
もちろん決勝戦で今野孝親とニックが闘う予定だったのは
言うまでもない。
さまざまな団体からチャンピオンが長崎に集まりトーナメント開始。その結果ニックも今野も敗れてNさんと自分の目論見は見事に外れた‥‥‥。
閉会式であからさまに不機嫌な態度で
優勝者に「ホレ」と横を向いて
100万円を手渡したNさんを見て驚いてしまった(笑)。
やっぱり九州伝説の男だなとあらためて感心した。
Nさんは現在ミャンマーラウェイの普及活動に
力を入れて現在もアグレッシブに活躍している。
今はNさんとは年賀状のやりとりくらいだけど、
突っ走る自分に「近所のジムと仲良くやって下さい」と
気遣ってくれる優しい大先輩だ。
ゴイスー物語 長崎の夜 後編に続く
ブルース・リー伝説という30話のテレビシリーズのDVDがある。
ブルース・リーの高校時代からアメリカに渡り
ハリウッドで映画に主演して、
亡くなるまでの自叙伝的物語だ。
ブルース・リー役の役者も本人に似ていて、
脇役も感じがいい役者ばかりで気に入っている。
ちなみにムエタイの試合のシーンでは
シンダム・ギャットムー9が出ている。
シンダムは昔のムエタイ選手のような雰囲気があって
お気に入りの選手だ。
いつものように話がそれたが、
様々な困難を乗り越えて成功するまでの
光と影が詳しく描かれていてオススメだ。
夢に向かって突き進み32歳という若さで
急死したブルース・リーを見ていたら、
「白い巨塔」の財前医師を思い出した。
また脱線してしまった。
マリリン・モンローもそうだけど
ブルース・リーの死も謎が多い。
「ブルース・リー伝説」の中でも香港の
裏社会との確執が描かれていた。
ブルース・リーの遺作となった「死亡遊戯」の
ストーリーは香港の裏社会との対決だった。
さらにはブルース・リーの息子の
ブランドン・リーも28歳で撮影中の事故で
亡くなっているのも偶然ではないだろう。
ダークな話から本題にを戻そう。
自分が小学4年生の時に映画館で見た
「ドラゴン怒りの鉄拳」。
感動の嵐だったが、その時すでにブルース・リーは
この世にはいなかった。
スケールが違うけど、
まるでロバート・デ・ニーロ(松田優作が憧れていた俳優)が
「ブラックレイン」の松田優作を観て
感激して「次回共演しよう」と電話したら、
松田優作がすでに死んでいた話のようだ。
小学生の自分はブルース・リーが死んでいるのに、
それ以来ヌンチャクを自作して振り回し、
後ろ回し蹴りの練習をしてブルース・リーになりきっていた。
ブルース・リーは自分にとってのヒーローそのものだった。
ブルース・リーのハリウッド進出があったからこそ、
後から出てきたジャッキー・チェンが
比較的スムーズにアメリカで成功をおさめることが
できたのだと思う。
ブルース・リーが生み出した
ジークンドーのベースとも言える
カンフーの詠春拳。
その詠春拳の秘技に寸徑がある
(様々な中国武術の流派にも同じ様な
技が見られる)。
もちろん自分がジークンドーの本を持っていて、
練習していたのは言うまでもない。
しかもブルース・リーは自分と同じ様に
サウスポーに構えて闘うところも
見逃せないポイントだ(笑)。
寸徑とは発徑の技法の1つで
至近距離から相手に徑を作用させる技術。
身体動作を小さくし、わずかな動作で
高い威力を出す技法一般を指す。
日本では一般的に発徑といった場合、寸徑を意味することが多い。
発徑は格闘技における殴打技とは根本的な身法が大きく異なる。
力は骨から発し、徑は筋より発するという中国の言葉もある。
発徑とは中国武術における力の発し方の技法であり、
激しく力を発するという意味も持っている。
寸徑を簡単に見た目で言うと、
手の指を伸ばした状態から、拳を握り
強力な威力で打ち込むような感じか
(他の打ち方もあるが)。
わずか一寸の距離から信じられない威力の拳を
打ち込むカンフーの秘技だ。
秘技と言えば大道塾の加藤清尚師範の
「必殺横正拳掌底受け鼻戻し」が
思い出されるが、話が長くなるので
またの機会にしたい(笑)。
寸徑とは微妙に違うがボクシング漫画
「はじめの一歩」でも拳ひとつの隙間があれば、
相手を倒せるボディブローが打てると書いている。
話が進まないので寸徑の話に戻ろう。
寸徑は至近距離からの攻撃だが、
カンフーの奥義の百歩神拳は、
百歩離れた相手を倒すという恐るべき
長距離の攻撃である。
この技を習得するには血のにじむような
鍛錬を積まなければならないのだ。
井戸の底の水に向かって拳を繰り出す、当然水面は動かない。
でも何度も何度も繰り返し続けるうちに水面が動くようになる。
そしたら次は‥‥‥‥。
また脱線してしまった(苦笑)。
寸徑の話に戻そう。
寸徑はタランティーノ監督のキル・ビルにも出てくる。
リュー・チャーフィー演じるカンフーの達人の
白眉道人(パイ・メイ)がユマ・サーマン演じる
主役のザ・ブライドに寸徑を教えるのだ。
ザ・ブライドが寸徑をマスターして、
生き埋めになった棺桶から寸徑で脱出し、
土の中からゾンビのように出てくるシーンは
ゴイスーでファンタスティックだ!
カンフーの奥義寸徑を使う
カッコいい181センチの痩せた白人女の
ザ・ブライドことユマ・サーマン。
なぜか自分にはザ・ブライドが
「青い目の女サムライ」こと
モニカに見えてしまう。
そしてその流れで2012クイーンズカップ直前の
ホテルのプールで流れたビートルズの
「Let It Be」のメロディーを思い出してしまった鬼軍曹。
あの時は本当にドラマチックだった‥‥‥。
またまたかなり脱線してしまったけど、
最近隠れて寸徑の鍛錬をしている46歳だ。
年末に噂されているドラゴンボクシングスタジアムでの
西口プロレスデビュー戦
(カンフーの達人キャラ予定)までに、
寸徑をマスターしてカンフーの奥義を
披露したい(笑)!
「アヂョーー!」(ブルース・リョー)